修学院離宮:雄大な美

江戸初期の日本の美として、欠かせないのが「修学院離宮」です。
桂離宮完成から30余年後、後水尾上皇によって指示され、江戸幕府によって造営されたのが1659年。上と下の二つからなる御茶屋を建設。中の御茶屋は創建当時の山荘にはありませんでしたが、上皇の第八皇女光子内親王(朱宮・あけのみや)のために拡張。そうして、上・中・下の三つの離宮(御茶屋)からなる修学院離宮となります。

下離宮

まずは、下離宮。
下離宮の見所は「寿月観」。

右上に掛かる「寿月観」の額は、後水尾上皇の直筆。
杮葺き(こけらぶき)の侘びたイメージ。奥の棚、地袋にはそれぞれ水墨画があり、白黒テイストと侘びた簡素な建物がマッチしていい。

下離宮をすぎると、修学院離宮の特徴があらわれます。

上離宮背後の山々、山林の借景です。
修学院離宮は、桂離宮とは違い、ケタ違いの総面積。なんと、54万5000平米!!なんとも雄大な離宮です。桂離宮が美を凝縮したものだとするなら、修学院離宮は雄大な美といえるでしょう。

中離宮

中離宮の楽只軒(らくしけん)の客殿。
奥にあるのは霞棚。桂離宮の桂棚、三宝院の醍醐棚とともに天下の三棚と称されています。

この中離宮は光子内親王が日常生活をしていたということで、住宅です。
350年住宅です(300年くらい住んでいないでしょうがw)。

楽只軒は大屋根だが、緩い勾配でどっしりとした印象。

手前六畳は一の間で吉野山の桜が描かれ、日常の落ち着いた趣です。
天井が黒いのは、煤払い(すすはらい)をして、疫病払いをしたことで、煤の黒さが今でも残っているそう。

上離宮

上離宮の隣雲亭。
深いの軒が安定感を醸し出しつつ、足下には漆喰に小石を三つ埋め込んだ「一二三石(ひふみいし)」がドットのアクセント。

ここのメインは、眼下の眺望。

離宮内の浴龍池(よくりゅうち)が広がり、その先には洛北の山々。
この眺望、この雄大な景色を楽しむために、上皇が造ったものと思います。

ちなみに、眼下の浴龍池では、船遊びを楽しんでいたそうです。

修学院離宮の良さは、雄大な景色にあると感じます。正直、桂離宮の緻密で、考え尽くされた設計ではないです。それは、元々、上と下の離宮のみ造営され、しかも、下から上へのアプローチである松並木が造営当時はなかったからです。松並木がなければ、下から上へのアプローチは、段々畑が見えるだけで、季節によっては寒々しいイメージ。

ですから、修学院離宮で味わうべきは、雄大な景色です。
54万平米をも超える敷地面積を使った、常人ではなしえない山荘に、その偉大さがあるのではないでしょうか。



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