東日本ハウスの創業ストーリー

東日本ハウスの創業ストーリー・歴史についてお話します。
東日本ハウスの創業は、ひとえに創業者である中村功氏によるものです。

中村功氏は大阪に生まれ、小学校のときに四国、香川県に移ります。中学、高校と過ごし、出光興産に入社します。そこでセールスマンになり、高い営業成績を出します。25歳で結婚。1月に結婚して、3月に仙台に転勤します。そこで1年、秋田に2年、28歳のときに盛岡に転勤します。盛岡では4年。

仕事は暇だが、エネルギーは余っている。出光興産ではやりたいことが特にない。ということで、会社を退社します。退社を決意した中村功氏は最初、新しい広告の仕事をしようと準備します。マーケティング、市場調査、販売促進の分野です。

そう決めたのですが、青森から東京にいく「あけぼの」という電車に乗るため、部下の大川君に駅まで乗せていってもらう際、たまたま新築中の家三軒を目にします。大川君が「中村さん、住宅の商売もいいですね」と一言言います。

「お前、住宅がほしいのか」
「いや、サラリーマンなら誰だって住宅がほしい」
「そうか」

駅に着きます。駅前のガラガラと回る本棚で『三井・三菱の不動産戦争』と『これからの住宅産業』の二冊を買って読みます。

「これだ」

途中の仙台で電車を降りて、電話帳を調べ、プレハブ住宅メーカー何件かに電話して、いろいろな条件を聞きます。たまたまダイワハウスだけがお金がなくても保証金は積み立てでいきなさい、という返事だったことから、ダイワハウスの代理店をスタートさせます。

中村功氏が出光興産を辞めて、32歳のとき独立、大和ハウスの代理店として東日本ハウスを創業します。ダイワハウスの代理店としてプレハブの住宅を売って2年。決算上ではトントン。儲からない。たまたまお客様だった千田勤氏に中村功氏が営業に行ったとき、こう言われます。

「やはりどうしてもプレハブは嫌だ。値段も高いし、自分は木造でセントラルヒーティング付きで予算はこれでやりたい。中村君、できるか」

実はできない状態でした。経験もありません。設計士もいません。大工さんもいません。販売しかしたことがありません。しかし、溺れる者はワラをもつかむで、即座に「できます」と返事。結局、建設することができます。しめてみると、儲かったわけです。

そこで、ダイワハウスのプレハブ住宅ではなく、木造住宅を主体に売っていきます。その後、ダイワハウスとの契約を解消。積極的に進出します。東北各地に進出、全国エリアに進出。そうして、現在の東日本ハウスとなります



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