住宅建築

ミサワホームの創業ストーリー

大手ハウスメーカーで知られる「ミサワホーム」。
今回は、その創業ストーリー・歴史についてお話します。
ミサワホームはその創業者である三澤千代治氏の物語こそがその創業ストーリーです

ミサワホーム創業者の三澤千代治氏は新潟で製材業を営む家庭に生まれます。小学生のころから、材木を使って色々な物をつくるのが趣味。大学は日本大学の建築学科に入学します。本人曰く「裏口入学」だそうです。親戚に法務大臣がいたからだそうです。

大学4年生の頃、三澤氏はどっと血を吐いて倒れます。結核です。幸いなことに助かります。ただ、一年半の長い入院生活を余儀なくされます。医師から「百日仰向けでいろ」との命令。病院ではずっと天井を見ています。天井の梁の出っ張りがだんだん気になってきます。何でこんな不細工なものが部屋にあるのか。それが出発点です。

天井の梁や部屋の隅の柱の出っ張りのない空間ができないものかと思い、パネル工法を思いつきます。これがミサワホームの始まりです

パネル接着工法の特許を取り、その特許を売ろうとします。鹿島建設、東急不動産、殖産住宅の三社に飛び込みです。しかし、売れません。

パネル工法の特許は売れない。就職先もない。それなら自分でやろうということで、試作品をつくります。試作住宅をつくり、パネル接着工法を事業化することにします。1967年のミサワホーム創業です

その後、かわいがってもらっていた高名な投資家の渡辺さんに山中湖畔の別荘建設を任されます。その上、財界のお偉方や芸能人といった友人まで紹介してもらいます。大量受注です。

しかし、できあがって少したつと、なんと床が抜けてしまいます。山中湖一帯は湿気が多く、床下換気口は付けていない、基礎も30センチしかとっていないということで、床下の換気ができず、床がみんなやられてしまったわけです。それに加えて、室内に換気口をまったく付けていないことに気づきます。毎週呼びつけられて平謝りです。

しかし、そうやっていつの間にか親しくなります。ミサワホームの応援団になります。

そうやって、試行錯誤の末に事業を拡大します。
それがミサワホームです。