でんホーム代表・藤本 香織(ふじもと かおり) 愛称でん について(Last Update 2010/03/17)

【藤本香織(ふじもとかおり) 愛称でんのプロフィール】

藤本香織(ふじもとかおり) 愛称でん
1978年9月22日 (31歳) 山口県下関生まれ 血液型A型 身長155cm 体重:内緒・・・

木の実保育園→川中小学校・中学校→下関西高等学校→ 広島大学工学部第W類建築学課程地盤基礎研究室 →愛媛県(四国)急成長建設会社ジョー・コーポレーションに就職→山口県下関にて地元工務店・建築設計事務所→2007より福岡に在住。

【(1)私が建築を志した理由】

いろいろな要因があったのですが、振り返ると、元々建築家になりたかったという造園家の父の影響が大きいのでしょう。彼、つまり私の父は元々手先が器用で、大工さんの仕事を間近で見たりしながら育ちました。ただ、彼は若い頃、彼の父(つまり私の祖父)の会社で働く事を選び、建築家への夢は捨てたのです。 父は造園家としては地元でそれなりの仕事を果たし充実した人生だと思います。30歳を超えた今、私が自分の人生を振り返ると、高校生だった私は彼が諦めたであろう夢のひとつであった建築の道に進んで、大好きな父を喜ばせたかったのだろうと思います。

【(2)建築の道における挫折と住宅設計との出会い】

1997年広島大学の工学部に入り建築を学び、多種の建築が学べるという理由で2001年急成長していた四国の建設会社に入社し、子供の頃の苦い想い出のある、住宅の設計を志望しました。 しかし、ただ父を喜ばせたい、という想いと、建築に対するイメージの憧れだけで入った建築業界は、私にとっては想像以上に厳しい場所でした。 手先は不器用で、スケッチは下手。有名建築も知らない、歴史も知らない。 桁って?貫って?框って?尺って何センチ?かねこうばい?あまじまい?じょうとう?こーきんぐ? 2項道路?元利均等?謄本?・・・今となっては基本的な用語も何も知らない状態でした。 分からない事だらけで、それまでどちらかと言えば『優等生』であった私は、それは単に学校の勉強、という意味だけだったという事に気付くのです。 そしてそんなゼロからの状態で、勉強しながら仕事を覚え4年半。急成長企業にありがちな、かなりのハードワークの中で、やっと自分の思い通りの住宅設計ができるようになっていました。 一般の木造住宅から、最高品質の高断熱高気密住宅、またログハウス、ポストアンドビーム、外断熱、充填断熱など7種類の形体の住宅、また営業同行も多く単身用住宅から3世代同居住宅など様々な家族形態の住宅を担当。そして最後の1年は地方支店の唯一の設計担当者として配属されました。 プライベートは全くありませんでしたが、お客様からの感謝の言葉が直接もらえるこの仕事に大変なやりがいを感じていたと同時にこれが私の天職、と感じていました。

【(3)家族の大切さに気付く】

仕事も順調だった2005年。高校を卒業してから実家を出て8年、久しぶりに戻った実家で、年老いた両親の面倒を見ていた母の姿を目の当たりにしました。彼女は、自分自身も難病指定の不治の病で症状が治まっている今でも月一度の検査は欠かせない身でもありました。充実していた仕事は確かに大切で、お客様の為に働く事は至上の喜びでしたが、結局私にとって一番大切なものは家族なのではないか、一番大切にすべき人なのに、何かあった時にそばにいてあげられないのでは、、という想いがつのり、退職し、下関に戻る事を決意しました。  下関に戻ってからも、家事を手伝いながら、地元の工務店や建築設計事務所で様々な経験を積みました。ここでは、2×4工法の住宅や初めてRCの集合住宅、式場などを経験しました。そんな中、母親が面倒を見ていた祖父が亡くなりました。身近な人の死というものを初めて経験した私は、人の死というものを考えさせられると同時に、人生は一度きりで、過ぎた時間は取り返しがつかず、後悔しない生き方をしたい、と考えるようになりました。 当時結婚しようと決めていた彼の希望で、2007年、今度は今から作っていく自分の家庭を大切にしたい、との想いで福岡に移住を決めました。その考えにはその頃、両親も賛成していました。 そして、ある建築家の元で働く機会を得ましたが、公共施設や福祉施設、店舗の設計などで、同じ建築業界でも住宅設計とは全く違う知識やスキルを必要とされる業界だったのです。怒鳴られながらも必死で仕事をこなす毎日。女性一人であった為に、設計の仕事の合間に事務や経理、電話、接客の仕事もしていました。そして、やはり仕事以外は何もできない毎日が続きました。 仕上げた図面、何時間もかけて描いたパース、プレゼン、資料、提出するもの、理由も分からず全て没。 住宅設計をしていた頃に感じていたプライドというものは全く無くなり、自分の存在意義は全く感じられない状況でした。 そのような時に、婚約者が何度か職を変わっていたこと、またその報告をしていなかったことから、彼との結婚について両親が反対しはじめました。これから築いていく関係の方が大切と思っていた私は、意見の違いから両親と対立し、関係も断絶。そして、多分その状況を見ていられなかった彼は多分、私の事を思っての事でしょう。そのまま私の前から姿を消しました。 縁もゆかりもない福岡で、1人になった私。 仕事ばかりしていたため、近くには相談できる親戚や友人もいませんでした。 生まれて初めて、頼っていたもの、信じていたもの全てを一気に失ったのです。 ただ悲しくて、寂しくて、つらくて、むなしくて、気付けばいつも涙を流していました。 自分が生きている、自分の存在そのものに、何の価値も意味も見出せない。 そう感じていました。 数週間後、涙は出なくはなりましたが、今度は反対に、全くなんの感情も起らない数ヶ月を過ごしました。 その間ずっと考えていたのは、 自分はいてもいなくても、何の意味も何の価値もない。 結局、何のために人は生きるのか、何のために働くのか。 その答えは出なかったのですが、同じように精神を患っていて苦しみの中、私を頼ってくれた友人 私以上につらい状況下でありながら、私の心配をしてくれた先輩 ハンディを負った状態でも、夢のために仕事を頑張っている友人の言葉 などのお陰で、すこしづつでも、自分のできるコトをしていこう、と思えるようになりました。 と同時に、私が今までいかに「家族」という存在に支えられていたのか、 私にとって、家族とは自分の人生にとって一番大切にするべきものである、 という事に気付いたのです。 少しづつ下関の家族とも自立した自分としての価値観を話す事ができるようになっていきました。 ただ、あいかわらず、自宅と職場の往復だけだったある日、 偶然、かつて住宅設計をしていた頃にお客様からいただいた、私への感謝の手紙を見つけました。 4年ぶりにその手紙を読みました。 (手紙抜粋) その文章を読んだとき、ずっと枯れたと思っていた涙が再び溢れました。 なぜかはすぐにはわかりませんでした。 やっと、そこに自分には無いと思っていた自分の存在意義を見出す事ができたからでした。 結局、 今の私にできる事は、 人の人生にとって、大切な家族の想い出の場であり、 その想い出に寄り添う価値のある住宅を作る事だと気付いたのです。

【(4)生涯の仕事として】

このような経緯で、私は、様々な人との出会いがあり、家族の笑顔を見る事ができ、その家がある限り、ずっとお客様とつながる事のできる、この素晴らしい仕事を自分の生涯の仕事にしようと決めたのです。 再び、新しい気持ちで、住まいについて本当の勉強をし直しました。 そして、改めて真に良い家とは何かを自分に問い直す過程で、 今本当に必要とされる住宅は、 「家族の集う唯一無二の大切な場所」としての安全性を備え、 健康・製造過程・サポートシステム・地域・あらゆる面で安心・信頼できる住まいづくりであり、 家族にとって、世の中にとって、時代にとって、私たちにとって本当に価値があり、未来につながる住宅である。と考えるに至っています。 そしてこれを実現するには、 住宅の構造・仕様・設備・会社の体制・アフターフォローのしくみ、など 総合して考えると今までの既存の会社での実現は難しいと考え、 自分でゼロから創っていくことを決めました。 もう、なぜ生きていくのか、という問いを自分にしていた頃には戻らない。 私にとって本当に価値ある生涯の仕事を見つけたから。 この想いを世の中に具現化していき、多くの人の豊かな人生づくりの一旦を担いたいと思っています。 (堅い話が続きましたので、ここで・・・)

◆私の(恥ずかしい?かもしれない)素顔公開!◆

そういえば私のキャラクターは 「マスコット」 だそうです。大学時代に、男友達に言われました。 なぜ、私は男友達が多いのに、「彼氏」ができないのか?!と悩んでいたところ、仲良くしていた男友達はひとこと。 「でんちゃんは、マスコットキャラなんよなぁー」と・・・。 結局、みんなに「かわいい、かわいい」とたたかれて、ネタにもされやすいし、いじりやすいけれども、 「女」としては見られてない(!)と言う事でした。当時は非常にショックでした。 が、今はとっても自慢です。だって、「マスコット」はあくまでもアイコンのひとつで、「主役」はその周りの人だから! 全日本バレーの「バボちゃん」しかり。広島東洋カープの「カープ坊や」「スラィリー」しかり。 なぜ、観客は全日本バレーを見に行くのか。プロ野球を見に行くのか。 バボちゃんを見たいわけじゃないんです。スラィリーを見たいわけじゃないんです。 そこにある、各選手たちの熱い思いや、素晴らしいプレー、選手達から感動をもらいたいからです。 いいじゃないですか!! だって私の周りにはいろいろな魅力的な選手・主役がたくさん♪そんな人生って素敵だと思います。 そして、私の役目は、応援すること、もっと楽しんでもらうこと、目印にしてもらうこと。だと思っています。 読書会を始めて約1年になります。その中で気付いた自分自身のこと。 私は・祭り・イベント好き ということです。 何か計画をたて、企画をたてていて、それが「きっと楽しい!!」「どうしたらもっと効率よく楽しい時間が過ごせるのか」「会の後、もっともっと!という余韻を残せるのか」「ゲストの人も楽しんでもらえるにはどうしたらいいのか」 そんなことを考えていると心からわくわくしますし、時間が経つのを忘れています。 参加される人、ゲストで来られる人、その方々が楽しい充実した時間を過ごすことのアイディアをいろいろ出すのが今とっても楽しいのです。仕事中もふとアイディアが浮かんでしまったりしていて・・・。 そんな中、私は気付きました。この能力!自分の仕事に活かせないかと。。。 そうです。「家づくりは家族にとっての一大イベント」なんです!! きっと、このスタンスでいけば、素敵な家づくりの時間を過ごしていただけると思っています。 また、もうひとつは、人との出会い、本との出会い、の素晴らしさです。 私が友人や家族に助けられたように、また書店に通い本に助けられたように、 たくさんの人が「何かアクションを起こす」ということによって明るい未来を描いてほしいと思っています。

◆私の好きなもの◆

無類の甘いものお菓子好きです。けれども、多少お酒もたしなみます。 果物、野菜、魚介類、お肉、スローフード、ジャンクフード、、、、、美味しいものは何でも好きです。 ただ、今まで食べられなかったもの くさや 羊のお肉はやや苦手(ジンギスカンはいける) です。 やや苦手だったもの パクチー まだ挑戦してみてもいいかなって思っています。 愛しているものは、 黒砂糖・メープルシロップ・下関のもずくスープ・辛子いか明太子・わたがし・さしみ・如水庵のいちご大福・ 納豆・炊き立て玄米ご飯・黒ごましお・山口長門の一夜干しカレイ・スパークリングウォーター(最近お財布事情により自粛中) 今まで経験し、好きなスポーツは ・水泳(小学校) ・バスケットボール(山口県大会1位 中国地方大会2位:小学校 ポジションはフォワード→ガード) ・鉄棒(スポーツとは言わないのかも?) ・剣道 二段 (見るのは今でも好き・玉竜旗はビデオに撮ってまで見た。中学の頃は宮崎兄弟のファンだった。) ・バトミントン(大学のサークルで。陣内君子選手を間近で見て、リアル10頭身だったのに驚く。) ・スノーボード(スノボは下手っぴですが、スキー場が好き。雪に埋もれるのが好き。あの空気・静けさが好き。) ・ジョギング(社会人8年目にしてはまる。10キロ完走した後、現在休止中。) ・バイクに乗る(スポーツじゃないか・・・。ホンダのCB400SFを通勤に使っていたのに、盗難にあう。原付もスキ。) ・ジェットコースター(最初に「建築」を思いついたのはコレ。) 「風」を感じる事が好きなのかもしれません。

◆私の家族について◆

・父 山口県下関市で 祖父の代から続く造園業を営む(司馬遼太郎が好き・自分で積算ソフトやHPを作るなどPC好き・細かい作業すき・本当の夢は建築家だった・下関にくる留学生の面倒を見るなど、若い人・外国の事を知るのが好き・ややおせっかい・ここ数年でメタボ体系に。。。) ・母 山口県下関市で 父の経営する造園会社で働く(土木施工管理一級を持つ努力家・やや能天気な部分があり愛される・実は難病指定の不治の病で月一病院通い・喜怒哀楽がはげしい・ミーハーな部分がある・写真に写る時の笑顔がきれい・30歳近く若い私よりも肌がきれい(!)) ・兄 東京にて経営コンサルタントをしている(早稲田大学卒業・カナダロットマンでMBAを取得・イギリスの大学院を卒業した超優秀な翻訳家の嫁をもち、バイリンガルになろうとしている3歳の娘がいる・私にとっては目の上のたんこぶ的な兄貴、だけど大好きな兄。幼少時よりブラコンの私。最近幸せ太り、かっこよかった学生時代の面影なし。) ・ペット おじゃる君 (ほっぺがオレンジ色のオスのオカメインコ8歳・私の秘書・自分が一番偉いと思っている・話せる日本語は「おじゃくん」・新卒入社した会社の常務から譲受けた・感情を素直に表現する・単細胞・甘えん坊・わがまま・私の危機を何度も救ってくれた)

◆ファッションについて◆

・一石二鳥に弱い・三鳥あればさらに弱い(意外性が感じられるとさらに。) ・面白い形に弱い・新しい形に弱い・珍しい色に弱い・珍しい色の組み合わせに弱い・気に入ったらずっと着ている ・褒められたら(かわっている・かわいい・でんらしい・(本当は安いものなのに)高そう!などと言われたら)さらにずっと着ている・流行はあんまり知らないし乗ろうとはしない・手持ちの服でいい組み合わせができると嬉しい。 ・標準外体型(!)のため、着たいのに着られない服が結構あり、悲しい思いをしてきた ・女性らしすぎるもの・フェミニンすぎるものはやや苦手、パーティのドレス・ワンピなんかは好き ・なかなか「コレ!」といった靴に出会えないので、ずっと同じ靴。

◆私が頻繁にしていること◆

・mixiのチェック・ツイッターでつぶやく・cafeで勉強&仕事・スタバにmyカップ持参・友人blogのチェック・メルマガで情報発信・読書・amazonサーフィン・でん賀状の発行

◆再開したいこと◆

・ジョギング・キャンプ

◆課外活動 とにかく何でもやってみようプロジェクト◆

・『ふくおか明るい読書会』 という勉強会を主催(現在開催 回・延べ参加者 人) ・ふくおかおとなの小学校をもくろみ中 ・福岡良い家研究会 準備中 構想中 ・「法規科目で合格ラインに乗る」で建築士試験受験生の応援(しばらく休止中) →ブログ・メルマガで全ての項目を書き終えたら、小冊子にして、お世話にになった日建学院に配布。仕事の合間に「建築士試験における法規科目の勉強法」で全国の受験生を対象に(もちろん無料)ミニセミナーを。

【私のポリシー】

・私にとって良い人生とは「明るい未来を創ること」に携わること ・迷ったら判断指標は「それは明るい未来に繋がるだろうか?」で判断。 ・まわりの大好きな人のたくさんの笑顔を見たい ・なるべくたくさんの新しいことを試したい・体験したい ・そのわくわく感やどきどき感、喜びをたくさんの人と共有したい・感じたい ・どんな人でもきっと本当はいいひとだ ・公共の物や場をないがしろにするのは良くない ・何か嫌な感情を抱くのは、自分にはそれを変える事ができるから ・全ては自分の判断で、自己責任 ・形でなくていいから、何かを未来に残したい ・たくさん受けた恩を忘れたくない ・朝のこない夜はない

【私が好きな人】

・家族 両親と兄 ・祖父・祖母(父方の祖母はなんと100歳を越えてもまだ新聞も読め、テレビも楽しみ、庭仕事もし、私と電話越しの会話ができます!) ・ほかたくさんの方々。

【本人はいたって普通だと思っているのですが、ほかの人からは良く変わっているといわれるポイント】

・テレビがない ・初対面でも打ち解けやすい ・男友達が多い ・趣味が男性寄り(バイクとかキャンプが趣味とか古いランクルが好きとか一人旅で駅で寝袋で寝ていたとか) ・喜怒哀楽が激しい ・スタバにスタバ商品でないマグカップを持参 ・手相占いが当たる

【「私の印象」として友人・知人にアンケートを取った結果】

・親しみやすい ・柔和な ・純真な ・行動的な  ・・・だそうです。他にもある方ぜひお知らせください。 また、私が他の人以上に苦労なくやっていること、私らしい言動、やればいいのに、と思うことなどあれば教えてください。自分では自分の事って全然わからないものです。 こんな藤本香織ですが、どうぞよろしくお願いいたします。
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