大和ハウスの創業ストーリー

大手ハウスメーカーで知られる「大和ハウス工業」。
今回は、その創業ストーリー・歴史についてお話します。
大和ハウス工業の創業ストーリーは、その創業者である石橋信夫氏によります

石橋信夫氏は奈良県吉野郡に生まれます。昭和17年に陸軍予備士官学校を卒業後、翌年に満州(現在の中国東北部)の前線に派遣されます。そこで負傷。一年半の闘病生活の末、奇跡的に回復。片足の自由を奪われながらも原隊復帰した直後にソ連軍と交戦。終戦と共に捕虜としてシベリアに送られ、三年間。九死に一生を得て復員後、工業化住宅の仕事を始めます。それが大和ハウス工業です

シベリアから帰国後、実家の仕事である植林、製材業を手伝います。兄、義一郎が社長をしている吉野中央木材の大阪・日本橋営業所長だったころ、ある発見をします。台風で家が壊れているのに、稲や竹はしなっても倒れないという光景です。共通点は丸く、中が空洞になっている点。パイプだ、鉄パイプで家を造ったらいいとひらめきます。

折から政府も木材不足に対応するため、代替資源の使用普及の方針を決めていました。そこで、実用化への道を模索します。

昭和30年に大和ハウス工業を設立。社名の「大和(だいわ)」は出身地である奈良の大和(やまと)からとっています。「ハウス工業」はこれまでにはないパイプハウスを工業化するとの心意気を示したもの。

パイプハウスの強みは大量生産できるところにあるということで、国鉄にねらいを定めて、営業します。営業力の高さで、国鉄に採用されます。日本電信電話公社、各地の電力会社、官庁などに食い込んでいきます。パイプハウスに続き、大型の鋼管構造建築も売れていきます。

昭和34年、「ミゼットハウス」を売り出します。ミゼットは「極小型」の意味。これが原点となり、工業化住宅、プレハブ時代を到来させます。以降、一般用のプレハブ住宅を開発し、「スーパーミゼットハウス」、「ダイワハウスA型」を発売します。

創立から4年で株式を公開。以降、成長を続け、現在の大和ハウス工業となります。



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