マーガレット・ハウエルの「家」 マーガレット ハウエル (著) #210

イギリス在住のファッションデザイナー、マーガレット・ハウエル。
同名のブランド「MARGARET HOWELL」で有名です。

本書はそのマーガレット・ハウエルが自身の2つの家や友人の家などについて語り、インテリアやその考えについてまとめられたもの。

1988年、マーガレット・ハウエルが買った最初の家はエドワディアン(1901-10年のエドワード7世時代)の伝統的スタイルの家。そして、2軒目が2001年に買ったセカンドハウス。

本書の表紙にもなり、巻頭で特集されているのはマーガレット・ハウエルのセカンドハウス。
1960年代にスイス人の建築家が設計、建築したもの。6軒建てて、そのうち1軒に家族と住み、他の5軒をセカンドハウスや住宅として友人らに販売したそうです。

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内装のデザインテイストは、でんホームとも共通したようなイメージです。
白い壁に木のフローリング。
木の風合いのある家具に、インテリアの小物がいくつか。
インテリアもビビッドな色でなく、落ち着いたベージュのようなカラーグループでまとめています。

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奇抜でもなく、流行でもなく、斬新でもない。
ただ、ベーシックで、定番。
時代が経っても色あせないテイストです。

マーガレット・ハウエルはインテリアのひとつひとつにもこだわりを持っている様子。

たとえば、FAVOURITE DESIGNS(お気に入りデザイン)として採り上げられた一品で「ANGLEPOISE(アングルポイズ)」があります。

実は、でんホーム鳥飼ゲストハウスにも「ANGLEPOISE(アングルポイズ)」が置かれてあります。
参考リンク:ANGLEPOISE Type75 Mini(アングルポイズ タイプ75 ミニ)・インテリア紹介

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シンプルで機能的、時が経っても決して、劣化しない美しさがあります。

マーガレット・ハウエルの価値観・哲学は大いに共感するところが多いです。

上質なものは価格も高いけれど、何年も使い続けるほどに、なじんで肌触りがよくなるでしょう。古くなっても”本物”なら味わいが感じられる。シルクに似せた化繊は、使い込むとみすぼらしくなるけれど、本物のシルクやリネンは、古くなっても、ますますいい風合いを保つものね

マーガレット・ハウエルのデザイン哲学、考え、価値観。そういうものが「家」を通して、伝わってきます。それは彼女がデザインするファッションのみならず、マーガレット・ハウエル個人の人生を通したものだからでしょう。

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「家」はその人の価値観やスタイルを大きく指し示すものであるなぁ、と再認識しました。



Be‐h@usの本 秋山 東一 (著)#209

Be-h@usとは「おもちゃとコンピュータが大好きな建築家」である秋山東一氏が提案するセルフビルドする木の家であり、そのシステムでもあります。

「組立玩具のように誰でも理解できる家づくりの方法」として、システムを公開したもの。

コンピュータの世界でのオープンソースの考え方を住宅建築業界にて適用。
秋山氏の考えた住宅システムの内容すべてをオープンソースとして公開しようという試み。

著者である秋山東一氏のプロフィール
1942年東京都に生まれる。
1968年東京藝術大学美術学部建築科卒業、東孝光建築研究所に入所。
1972年独立し、住宅を中心に設計活動を展開する。
1994年OMソーラー協会のシステム住宅フォクルスハウスを考案する。
その後、Be-h@us を提案、NPO法人BE-WORKSを主宰、現在に至る。

ホームページ:http://www.landship.co.jp
blog:http://landship.sub.jp/stocktaking/
特定非営利活動法人 BE-WORKS・新木造建築ネットワーク

秋山東一氏は木質系の住宅建築業界では有名な建築家です。それは前述のプロフィールでもあるように、OMソーラー協会の設立、および、そのフラッグシップ商品であるフォルクスハウス(フォルクスA)を誕生させたからです。

奥村昭雄氏(東京芸術大学名誉教授)は有名建築家である吉村順三氏に学んだのですが、その奥村氏に学んだのが秋山東一氏。

「OMソーラー」というソーラーシステムが1987年に誕生したとき、

「秋山、ちょっと、こっち来い」

と奥村昭雄氏に言われるがまま、秋山氏が参画。

その後、常々、「フォルクスワーゲンのような住宅」を実現したいと考えていたところ、「木質軸組パネル工法」と出会います。

そして、OMソーラーシステムを組み込んだ木造軸組パネル工法のフォルクスハウスを開発。1994年9月にフォルクスハウスの最初の1棟「OMソーラー協会モデルハウスVH001」が建てられ、OMソーラー協会の会員工務店のためにクローズドされたシステムとして供給開始。全国中でフォルクスハウスが建設されます。

OMソーラーのフォルクスハウス「木造打ち放しの家」と名付けられ、ひとつの住まい方として定着していきます。

ちなみに、秋山東一氏のブログ「aki’s STOCKTAKING」には、そのフォルクスハウスの第1棟目の写真(を掲載した雑誌)があります。

フォルクスハウスの第1棟モデルハウスVH001浜松
(転載:aki’s STOCKTAKING: 建築知識通巻700号

美しく、佇んでいます。
1994年9月、19年前に竣工した住宅とは思えないほど、時代を感じさせないデザインです。
多くのデザインが10年以上もの時を経ると、それなりのデザインの古さを感じさせるものですが、VH001はベーシックで美しい。

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本書にある”Be-h@us”はその進化系とも言えます。

余談ですが、当社ゲストハウスにも、秋山東一様にご来訪いただいております。
光栄です。ありがとうございます!

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秋山東一様(建築家)、眞木健一様(マキハウス社長)にご来訪頂きました | 竹内正浩の研究ノート

福岡でも、福岡市西区愛宕にあるHitマリナ通り住宅展示場にある安成工務店さんのモデルハウスの設計を手がけられたり、現在ではマキハウスさんとお仕事をご一緒されているそうです。

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Be-h@usはコンピュータの世界の考え方を踏襲しています。ユーザー自身がマシンの使い道を決めることができ、自分でプログラムを書いて自在に使うことができる。自分でプログラム/設計して、自力で組み立てる。そのために、Be-h@usはフォルクスハウスの財産を継承しながら、これまでクローズドだった設計システムのすべての情報、仕様、部材の価格、施工マニュアル、部材マニュアル、設計ツールをインターネット上に公開。

本書では、フォルクスハウスの考え方、誕生について。
そして、Be-h@usの考え方や誕生について、施工マニュアルなどの情報が書かれています。

Be-h@usについて、その情報を求めてインターネットをみてみたのですが、どうやら休止中の様子。
公開情報などをぜひ、拝見したかったです。。。

住宅建築業界でも、先端的な試みを行う方がいらっしゃいます。

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OMソーラーのように温熱環境に対してアプローチする方、高気密・高断熱のような性能に対してアプローチされる方、工業化のシステムに対してアプローチされる方、斬新なデザインに対するアプローチをする方など、、、様々な試みを行う方がいるからこそ、技術なり、性能なりが向上していくのだと気づかされます。



森林飽和―国土の変貌を考える 太田 猛彦 (著) #206

本書は思いこみを覆す本です。
山に行き、見渡せば、緑の木々に覆われた山々。

しかし、50年前、そこは「はげ山」であった

日本の国土は、たった数十年間に起きた急激で劇的な変化に見舞われました。

たとえば、日本全国の砂浜海岸で砂が減り、砂浜の幅が狭くなる事例が報告されています。
これは、地盤沈下やダムの影響、護岸工事の影響などと議論されていますが、実際はより根源的な環境である山地・森林の変化なのです。

二十世紀に起こり、今も静かに続く国土の変貌。
それは「森林の飽和状態」です。

本書はそのことについて話しています。

はげ山だらけの日本

ここ数十年前、日本の野山は「はげ山」でした
木が生えず、地表に植生も土壌もない、基盤岩が露出した山「はげ山」です。

本書では江戸時代の絵、60年前の写真を参考に挙げて語られています。

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少なくとも、江戸時代中期から昭和時代前期にかけて、鬱蒼とした森をほとんど目にすることなく暮らしていたそうです。

なぜでしょうか?

かつての日本は、なぜ「はげ山」だらけだったか?

そもそも、かつての日本にはどのような資源があったでしょうか?

木、土、石くらいです。

そのなかで、木材は加工の容易さから、建築材料、舟の材料、道具の材料、そして、薪や炭といった燃料(エネルギー資源)として活用されていました

たとえば、塩をつくる際、海水を煮沸するための燃料として使われました。
また、鉄を使うための製鉄にも、大量の燃料が使われました。
焼き物(窯業)にも燃料が使われました。

さらに人口増加に伴って、住まいが必要となることで、木材が必要となります。
これらの結果、木材への需要が高く、供給には年数がかかることから、木が伐られ、森はなくなり、はげ山になったわけです。

そこから災害対策の観点や木材需要から、1960年代に「拡大造林」政策が始まります。
これによって、日本にはスギ(杉)、ヒノキ(桧)、カラマツ(唐松)などの「一斉林」を出現させることになります。

ただ、上記の政策などによって森林が増えてきたところ、1960年代に急速に全国に普及したエネルギー革命がその追い風になりました。
薪炭から石炭・石油・天然ガスという化石燃料へのエネルギー資源の大転換は、森林の利用を放棄することと、ほとんど同義でした。

加えて、外材の輸入自由化で、安価な外材の輸入が国産材の需要を減少させ、国内林業は衰退に向かいます。

それは、森林の伐採圧力を低下させることになりました。
そうすることで、人工林は成長し、豊かな緑に満ちた山々が生まれたのです。

本書では「新しい森をつくる」提言を行っています。

私たちの見ている国土、森林はかつてからあった日本の国土の姿ではなかったのです。

また、森林の放置するのではなく、有効に活用していくこと、森林とともにいきること。
それは日本にとって大切なことではないかと思います。

私ども、でんホームも住宅建築には、可能なかぎり、国産材、地域材を活用していこうと思っています。
日本の森と未来のために、考えていきたいですね。



中村好文 普通の住宅、普通の別荘 中村 好文 (著) #202

これまで書いてきたブログ「1000冊読書感想文を書くとどうなるか?」はほとんどがビジネス書でした。もちろん、今でも主流としてはビジネス書・経済書なのですが、私自身、でんホームという住宅会社の一員です。ですので、今後は読書感想文のなかに、住宅関連の書籍も入ってくることになると思います。

ということで、住宅関連書籍としてひとつ。
中村好文氏の著書「普通の住宅、普通の別荘」です。

中村好文氏は建築家で、日本大学生産工学部居住空間デザインコース教授です。
武蔵野美術大学建築学科卒業後、都立品川職業訓練校木工科にて家具製作を学びます。
1976年から1980年まで吉村順三設計事務所に勤務し、家具製作のアシスタントを努めます。
1981年に自身の設計事務所「レミングハウス」を設立。現在に至ります。

吉村順三設計事務所に勤務されたキャリアからも明らかなように、吉村順三に影響を受けたデザイン、テイストです。自然素材を使った、落ち着く空間設計をされています。でんホームのテイストとも近いです。

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さて、本書は元々、「中村好文・住宅作品集」のテーマで製作される流れだったそうですが、「作品集」が自分の柄ではないと考え、このような本になったそう。

中村好文氏はもちろん建築家なのですが、文章もお上手。
住宅建築のエッセイを多数、書かれており、内容も素晴らしく、エッセイストとしても有名です。

中村好文氏自身の家、つまり、自邸も本書に掲載されています。
「久が原のすまい(くがはら)」という名称です。

その自邸をご覧いただけばわかるのですが、たとえば、縦長の本棚に約450冊の文庫本があります。
加えて、2階壁面に大きな本棚をつくっています。
読書家だからこそ、エッセイもお上手なのですね。

中村好文氏の建築の思想について

中村氏の建築思想についてですが、本書ではこのように書かれています。

私の中には「可能な限り石油化学製品を使いたくない」という気持ちがある。とはいえ「自然素材以外は使わない」というほど頑固者ではない。わかいやすく言えば「古びたときに美しくなる素材を使いたい」のである。

建具にはめ込んだ御簾の素材、暖炉の床に使ったライムストーン、遮熱用の銅板、襖に張った糸を漉き込んだ包装紙、家具のシナ合板とチーク材、洗面カウンターの花崗岩、真鍮製の閂錠(かんぬきじょう)・・・どれも私のお気に入りの素材ばかりである。

このような一連の建築思想については、私どもでんホームも共感するところです。

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「古びたときに美しくなる素材」は時が経つにつれて、いい意味で味になるものです。
そうでない素材は経年劣化します。
時が経つにつれて、汚くなっていくのです。

長く愛することのできる住宅は、経年劣化する家であってはならないと思います。
それは、結局は劣化した住宅を取り壊すか、大規模リフォームして原型を止めないかたちになるからです。

落ち着いた、いい年の取り方のできる家。
それは中村氏も、でんホームも同じ気持ちです。



現代の住宅の原型は、中・下級武士の住まい

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現代の住宅の生まれ

日本人の住まい、住宅は、歴史上、さまざまなかたちに変化してきました。古くは竪穴式住居から、平地住居、寝殿造り、書院造、数寄屋造りなどなど。

では、現代の住宅は、そもそもどのようなかたちで生まれたのでしょうか?

それは、江戸時代の中・下級武士の住まいがベースとなって生まれたのです。江戸時代、武士は、日常、城に通勤して、藩の事務をとる役人でした。城下町における武士の住宅は、規模の差はあったものの、いずれも敷地の周囲に塀をめぐらし、門を構え、その中に独立する家屋を建てていました。

建物の規模に違いはあれども、基本的な様式は大名などと同じ書院造で、主人の居間であり客を迎えるための座敷と、家族の生活の場である奥の部屋や玄関・台所などから構成されていました。座敷には床の間があり、小さくとも8畳の広さがあるのが普通で、座敷には次の間が続いていました。座敷と次の間には道に面して縁側があり、道と座敷の間に庭があり、玄関から上がった客は、次の間を通って座敷に通されることになります。

もちろん、数としては中・下級武士のすまいが最も多く、存在しました。そのような背景があったことから、この独立した中・小規模の武士のすまいが、明治維新以降に新たにうまれ都市住民の大部分を占めたサラリーマンの住宅の原型となったのです。